さて今日はエヴァでも観ようか

 みなさんは朝型だろうか?夜型だろうか?そもそも、朝型、夜型とは何だろう?本当にあるのだろうか?早起きできない人のただの言い訳ではないのか?今日はその辺について考えてみようと思う。

 

 我々生き物は遙か昔、太陽がまだ地上に降り注ぐ前に生まれた。海に出て、あるものは太陽の光を浴びて光合成をするようになったが、多くは海の底で暮らしていた。長い時間をかけ水際まで上がり、勇気あるものがひれを手足に変えて陸上に上がった。それでも、まだその頃は海と陸を行ったり来たりしていた。そこからまたゆっくりと時間をかけて、ついには陸上だけで生活できるようになった。

 

 自然光の入らない、時計のない部屋で生活していると起床や就寝のタイミングが約1時間ずつずれていくという実験を聞いたことがあるだろうか?人間の体内リズムを調べる実験だが、なぜかそのリズムは25時間周期だというのものだ。形態学の三木成夫先生は『生命とリズム』の中で、それは遙か悠久の昔から私達生命に刻み込まれた潮汐リズム(潮の満ち引きのリズム)によるものではないかと仰っている。生命の歴史から見れば、太陽の下で暮らしている時間はほんのわずかである。それまでの長い時間、私達生き物は潮の満ち引き、つまりは月の引力による月の周期のリズムで生きていた。その頃のリズムがしっかりと体内に残っているのではないかと。

 生命は、進化の過程で陸を目指し、肺を作り太陽の熱に耐えうる厚い皮や、毛皮を持ち、そうまでして太陽の下での生活を目指した。その中で、その過酷な環境に耐えきれないもの達も少なからずいたようだ。哺乳類から海に戻ったクジラ、爬虫類から海に戻ったウミガメ、鳥類から海に戻ったペンギン、そして、あのシーラカンスは両生類からの出戻りらしい。そして、ずっと海にいて、出戻り達に大きな顔をしているのがサメだと三木先生は仰っている(笑)。新天地を目指すもの、残るもの、戻るもの、それぞれの生き様である。私達人間においても、太陽の下でエネルギッシュに動ける者もいれば、朝はなかなか起き出せず、夜になるとその本領を発揮するような者もいる。その背景には生命の進化の歴史が見え隠れしてくる。これが、朝型、夜型の正体ということだろうか。

 

 運動科学総合研究所所長の高岡英夫先生の著書に『身体意識を鍛える』という本がある。その中で7つの身体意識が紹介されている。

 1)センター………身体の中心を貫く一本のライン

 2)下丹田………落ち着き、安定感が生まれる

 3)中丹田………やる気や情熱の中心となる意識

 4)リバース………人や物にかける放物線のライン

 5)ベスト………上半身の動きがみるみる変わる

 6)裏転子………ハムストリングスを強化する

 7)レーザー………一直線に目標に向かうライン

                   目次より

 一流といわれるスポーツ選手や歌舞伎役者などが、この中の一つ乃至複数を上手に使いこなしていると書かれている。この中のレーザーという意識については「レーザーは、仙骨の中心からまっすぐに前に向かって伸びている意識のラインです。」、「……狩猟生活をしていました。その中で、石や棒切れを投げて獲物を倒すという運動を、長い時間繰り返してきたはずです。」と説明されている。また、仙骨が人間特有の骨であり、こういう身体意識が狩猟生活をしていた頃から発達してきたことがうかがわれる。また、このレーザーはまっすぐに伸びるので、夢や目標、目的に向かって行くのにも重要な身体意識であるとも書かれている。そう、このレーザーこそ陸上を目指したフロンティアの能力であり、人間になってその能力は武器を遠くに飛ばしたり、遙か先の新天地を求めたり、海を渡り、空を飛び、月まで行き、遙か宇宙の果てのことを考えるにまで発展している。

 私は、このレーザーの能力が特に秀でた人達は白人に多いように思っている。大きな船を造り、空飛ぶ飛行機を造り、ロケットを造り、世界が、宇宙がどうなっているのか自らの目で確かめに行った人たち。スポーツにしても、フットボール、ゴルフ、野球、ホッケー、ボーリング、そのボールの軌道や、ゴールへと向かう意識の軌道は正にレーザーである。古代ギリシアにおいて始まったとされるオリンピックの陸上競技においても、走る、跳ぶ、投げるのオンパレードだ。

 人類が生まれ、いくつもの世代を経た後、アフリカを飛び出した白人の祖先は、白夜、つまり昼が長い北へと進出していったのだから、正に朝型(太陽のリズム)の性質を強く持ち合わせていたのだろう。

 

 さてそろそろ夜型の出番である。だが、その前に興味深い考察を前述の三木成夫先生がされているので、ご紹介したいと思う。以下引用

「先日、ひとりの夜行性が一冊の本を携えてやってきた。最初の一頁だけ読めと言う。見ると、難しい著者名だが、そこには、なんと夜行の生理が心にくい活字で綿々と描かれているではないか。〈中略〉

 これをもし、われわれの言葉で表現するとすれば、どうなるだろうーーー夜の眼は地層を垂直に掘り下げ、昼の眼は地表を水平に進む。前者は時間を振り返るが、後者は空間を展望するーーー。」

 このひとりの夜行性の学生が持ってきた本とは誰の何という著作かは分からないままであるが、これは見事な考察だと思う。そして三木先生の表現もまた、心にくいまでにまとめられている。

 そうなのだ。夜型(月のリズム型)は朝型(太陽のリズム型)ほど活発ではない。得意の夜でさえも朝型の行動力には劣るのだ。夜型はどちらかというと引きこもり、活字や液晶画面と向き合っていることの方が得意だ。だが、それは生き物でいうところの出戻り思考なのだろうか?海に戻って光の届かないところで、潮の満ち引きを感じて過ごしたいが故の逃避行動なのだろうか?いや、そうではない。夜型は深く物事を掘り下げるのが得意だ。地層を掘り下げ、化石を探すのかもしれない。卑弥呼の墓を探すのかもしれない。人生について、道徳について、人の心について、深く深く考え、より良い生き方を模索するのかもしれない。夜型は、地面に対して垂直にレーザーを発しているのだ。

 

 遥か昔、海の中から太陽の光を目指して陸に上がるまでの生命は(あるいは鳥類のように空を飛ぶまでか?)、垂直に天へとその目標を目指して進化してきた。そして陸に上がった後(あるいは空に上がった後)、その進化の方向は水平方向に広がっていった。そして“ヒト”となった今、私たちはレーザーとしてその進化の方向性を二手に分けて発展させている。1つは今までよりももっともっと、遥か遠く宇宙の果てまでへもたどり着かんとし、1つは生命の誕生、宇宙の誕生にまで遡り、あるいは、物質を構成する小さな物質のそれをまた構成する小さな物質の世界へとその研究を深めていっている。そう、夜型には夜型の進化の方向性が宿っているのだ。

 

 小さな原始の生命体から連綿と受け継がれてきた進化の過程で獲得したその力、夜型においては物理的な行動力には表れないものの、長い時間をかけて染み込んでいるその潮の満ち引きのリズムの中に更なる未来へと向かっていく力を隠し持っている。朝型においては、そのエネルギーを何倍にも増幅し、新たなフロンティアを日々目指し活発に行動している。その棲み分けと役割分担は、見事な進化と呼べるのではないだろうか。

 

 さて自粛の最中、大きな声では言わないが、夜型は密かにこの生活を満喫している。